パリの街並みを望む小さなアトリエ。イラストレーターのサンペと作家のゴシニは、いたずら好きの男の子のキャラクター、ニコラに命を吹き込んでいた。大好きなママのおやつ、校庭での仲間達との喧嘩、先生お手上げの臨海学校の大騒ぎ・・・。ニコラを描きながら、望んでも得られなかった幸せな子供時代を追体験していくサンペ。また、ある悲劇を胸に秘めるゴシニは、物語に最高の楽しさを与えていった。児童書「プチ・ニコラ」の心躍らせる世界を創造しながら、激動の人生を思う二人。ニコラの存在は、そんな彼らの友情を永遠のものにしていく・・・。
世界中で愛される児童書「プチ・ニコラ」誕生秘話
フランスで50年以上愛され続け、世界30カ国で翻訳されている児童書「プチ・ニコラ」。その誕生秘話にして、原作者達の喪失と創造の人生に「プチ・ニコラ」の物語を交えて描く、子供時代へのノスタルジーと創作の喜びに満ちた物語が誕生した。
「プチ・ニコラ」を生んだ、二人のクリエイターの喪失と創造の人生と友情
やんちゃな小学生ニコラの天真爛漫な日常を子供の視点から語り、世界中の人々を魅了し続けている物語「プチ・ニコラ」。その魅力の根源は、親友同士の原作者、イラストレーターのジャン=ジャック・サンペと小説家ルネ・ゴシニの、運命に屈することのない生き方にあった。親子関係に恵まれず過酷な子供時代を過ごしたサンペ。楽しい幼少期を過ごすも少年時代に親族をホロコーストで失ったゴシニ。夢を失い、再び夢を抱き、クリエイターとしての不遇の時期を経て二人は出逢う。おしゃべりで活動的なサンペと控えめだが情熱的なゴシニ。ユーモアを共有する親友となった彼らは、人生の苦難を知るがゆえに、自分達が理想とする幸せな子供の世界を創造していく。自分達が生み出したキャラクター、ニコラへの愛情のもと、222話もの物語を創作し、幸せを追体験していく二人の姿は、観る者の心をも喜びで満たす。
2022年アヌシー国際アニメーション映画祭クリスタル賞(最高賞)受賞!
本作は、カンヌ国際映画祭に正式出品されたほか、アヌシー国際アニメーション映画祭クリスタル賞をはじめ数々の映画賞を受賞、アニー賞やセザール賞にもノミネートされた。監督は、TVアニメシリーズのディレクターとして活躍してきたアマンディーヌ・フルドンと、アカデミー賞長編アニメ映画賞ノミネート作品『失くした体』(19)を含む数々の映画賞受賞作品に編集として携わり、本作で監督デビューを飾るバンジャマン・マスブル。
監督はじめスタッフ全員の「プチ・ニコラ」への愛とリスペクトが作り上げた本作。亡きゴシニの娘で小説家のアンヌ・ゴシニが脚本に参加、ゴシニが残したタイプ打ちの原稿や写真に基づく詳細なリアリティが作品に付与された。さらに本作には、ドローイングを確認するなど制作過程を見守り、カンヌ国際映画祭でのワールドプレミア上映やアヌシーでの最高賞受賞を見届けて2022年8月に89歳で亡くなった、サンペの深い愛情が詰まっている。
舞台は1950~1960年代のパリ。美しい映像×ご機嫌な音楽
水彩画のような美しい映像とハッピーな音楽で綴る本作は、「プチ・ニコラ」の物語が随所に挿入された、「プチ・ニコラ」初のアニメーション化作品でもある。ニコラが仲間達と巻き起こす騒動の数々を楽しみながら、悲劇的な事件とは無縁な、自由で守られている子供の世界へのノスタルジーに私達の心は包まれる。 サンペによる原作の挿絵のテイストに忠実に、かつ絵本の世界のような表現がなされた「プチ・ニコラ」の物語部分に対して、実話に基づくサンペとゴシニの人生の物語や創作時の逸話は、映画的な手法で詩情豊かに描かれた。舞台となるレトロな雰囲気のパリの光景はもちろんのこと、ゴシニが子供時代に住んだブエノスアイレスや若き日々を過ごしたニューヨークの街も、その時々の心情を反映し、息を呑むほど美しい。 50年代60年代のパリを彷彿させる音楽を手掛けたのは、『アーティスト』(11)でアカデミー賞音楽賞を受賞したルドヴィック・ブールス。そして、原題のサブタイトルにもなった、懐かしく楽しいシャンソン「幸せになるのに何を待つの」(37)が、困難な時代を生きる私達の背中を「幸せになろう」と明るく押してくれる。
パリの街並みを望む小さなアトリエ。イラストレーターのサンペと作家のゴシニは、いたずら好きの男の子のキャラクター、ニコラに命を吹き込んでいた。大好きなママのおやつ、校庭での仲間達との喧嘩、先生お手上げの臨海学校の大騒ぎ・・・。ニコラを描きながら、望んでも得られなかった幸せな子供時代を追体験していくサンペ。また、ある悲劇を胸に秘めるゴシニは、物語に最高の楽しさを与えていった。児童書「プチ・ニコラ」の心躍らせる世界を創造しながら、激動の人生を思う二人。ニコラの存在は、そんな彼らの友情を永遠のものにしていく・・・。
『プチ・二コラ』単行本シリーズ (世界文化社刊)
フランスの国民的ロング・セラー。いたずら好きの小学生プチ・ニコラとクラスメートたちの愉快な毎日を描いた「くすっと笑える話」が詰まった全5巻シリーズ。かわいくておしゃれな挿絵がお話をさらに盛り上げてくれる素敵な本です。各巻に約20話ずつを収録。(四六判 並製 定価各:本体1,000円+税)
ルネ・ゴシニ René Goscinny
1926年8月14日―1977年11月5日
1926年8月14日 フランス・パリ生まれ。ポーランド出身のフランス系ユダヤ人。1928年、父の仕事のため、一家はアルゼンチンのブエノスアイレスに移住。現地のフランス人学校で学び、子供のころに読んだ本の挿絵に感銘を受け、絵を描き始める。1943年父が脳内出血のため亡くなり、漫画家を志す17歳のルネは、生活のためアルゼンチンの広告代理店で働き始める。1945年、アメリカ・ニューヨークへ移住し、漫画家になる夢を追うが、当時その夢を実現させることはなかなか困難であった。しかし、風刺漫画“Mad Magazine”の創立者ハーヴェイ・カーツマン、ウィル・エルダーに出会ったことがきっかけで、1949年“Mad Magazine”スタジオで漫画家として仕事をスタートさせる。 その後、Kunen出版社のアート・ディレクターに就任、4冊の児童書を執筆。1951年、アメリカからヨーロッパへ移住、ベルギーの通信社のブリュッセル支店に就職、そこでフランスの漫画家アルベール・ユデルゾと出会いによって、彼の人生に再び転機が訪れる。漫画を描くことよりも友人となったユデルゾと組み物語を書くようになり、彼の才能が開花する。その後発表した、フランスコミック「ラッキー・ルーク」(作画:Morris)(1955-1977)、同じく「アステリックス」(作画:アルベール・ユデルゾ)(1959-1977)は大ヒット、映像化されるなど大人気を博す。「プチ・ニコラ」はイラストレーター ジャン=ジャック・サンペとともに222作品を執筆、1959年―1965年出版される。プライベートでは、1967年に結婚、1968年娘アンヌが誕生。(本作の脚本、脚色を担当)1977年11月5日、51歳の時に心臓発作で他界。彼の死後も、彼の作品はフランス、そして世界中で愛されている。
ジャン=ジャック・サンペJean-Jacques Sempé
1932年8月17日 – 2022年8月11日
1932年8月17日、フランス・ボルドーの近くにある町ペサック生まれ。シングル・マザーのもとに生まれたサンペは、幼少期養父母に育てられる。実の母と再び暮らすことになった際、アルコール依存症だった義父は家庭内で暴力をふるうなど、辛い子供時代を過ごした。いろいろな仕事を経た後、1950年徴兵年齢に達する前に兵役を志願し、パリへ。1951年最初のデッサンを売る。1952年、彼の水彩画の人気が少しずつ出てきて、評価もされていく。1950年代、フランスの週刊誌「パリ・マッチ」の1ページを彼のイラストが飾るようになり、長い間連載を持つ。その後、ルネ・ゴシニとコンビを組み、1954年から、サンペ自身が自分の子供時代を思い出として雑誌に描いていたキャラクター「ニコラ」を膨らませて1959年に「プチ・ニコラ」を生み出す。1960年、「プチ・ニコラ」はフランスの週刊コミック誌Piloteで出版された。彼のイラストは1978年から雑誌ザ・ニューヨーカーの表紙を100回以上も飾っている。「プチ・ニコラ」は世界30カ国以上で翻訳され、彼のイラスト集も数多く出版されている。2012年、80歳の誕生日を記念して、ドイツのヴィルヘルム・ブッシュ博物館で展覧会を開催するなど、晩年も多くの人に彼のイラストは愛されていた。2022年自らグラフィック・クリエイターを担当した本作が完成。5月に開催された第75回カンヌ映画祭に正式出品、6月にアヌシー国際映画祭でのクリスタル賞(最高賞)受賞を見届けた後、8月11日、89歳で永眠。フランスの国民的漫画家、ジャン=ジャック・サンペ氏死去と報じられた。
監督:アマンディーヌ・フルドン
絵画界から映画界へ。美術を学んだ後、自然とアニメーションの業界で仕事をはじめ、フランス、バランスを拠点におくFolimageスタジオに15年間在籍していた。その後、フランスの料理人、ジャン・ピエール・コフとともに アニメーション・シリーズ “C’est bon”を監督、その他エマニュエル・ギベールとマルク・ブタヴァンのコミック原作アニメーション “Ariol”、 マリオン モンテーニュ原作にしたテレビ局Arteのアニメーション番組“How to die clever”、アンヌ・ゴシニとカーテル著の本をベースにしたアニメーションの"Lucrèce"を手掛けている。
監督:バンジャマン・マスブル
クレモン・フェラン短編映画祭にて、アニメーションの豊かさと多様性に気付き、関心を深め、情熱をもってアニメーションの仕事に就く。編集を学んだ後、多くのアクション映画、コマーシャル制作にアシスタントとして携わり、その後アニメーション界にて活躍していく。アシスタント編集者として多くのテレビ・シリーズを手掛けたのち、編集者として多数の映画も手掛けている。レミ・シャイエ監督作『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』(15)(アヌシー国際アニメーション映画祭観客賞、東京アニメアワードフェスティバル2016長編コンペティション部門グランプリ、第23回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞他)、『カラミティ』(20)(アヌシー国際アニメーション映画祭クリスタル賞)、バンジャマン・レネール&パトリック・インバート監督『とてもいじわるなキツネと仲間たち』(17)、ヨハン・スファール “Little Vampire”、アカデミー賞ノミネート作品ジェレミー・クラパン監督『失くした体』(19)(アヌシー国際アニメーション映画祭クリスタル賞、観客賞、2020年アニー賞他多数)、パトリック・インバート監督『神々の山嶺』(21)(第47回セザール賞アニメーション映画賞)等。
脚本:アンヌ・ゴシニ
音楽:ルドヴィック・ブールスORIGINAL MUSIC BY LUDOVIC BOURCE
『アーティスト』(11)(アカデミー賞作曲賞、英国アカデミー賞作曲賞、セザール賞作曲賞等)、『OSS 117 リオデジャネイロ応答なし』(09)、『OSS 117 私を愛したカフェオーレ』(06)等。
【スタッフ】
原作:ルネ・ゴシニ、ジャン=ジャック・サンペ
監督:アマンディーヌ・フルドン、バンジャマン・マスブル
脚本・セリフ・脚色:アンヌ・ゴシニ、ミシェル・フェスレー、バンジャマン・マスブル
グラフィック・クリエイター:ジャン=ジャック・サンペ
美術:フュルシィ・テシエ
アニメーション監督:ジュリエット・ローラン
音楽:ルドヴィック・ブールス
アラン・シャバ(ルネ・ゴシニの声)
『地下室のヘンな穴』(22)、『PLAY 25年分のラストシーン』(18)、 『ムード・インディゴ うたかたの日々』(13)、 『ベイビーズ -いのちのちから-』(10)、『プチ・ニコラ』(09) 『ナイト ミュージアム2』(09)、『恋愛睡眠のすすめ』(05)等
ローラン・ラフィット(ジャン=ジャック・サンペの声)
1973年8月22日フランス生まれ。
『アンタッチャブルズ:ザ・リターン』(22)、『世界の起源』(20)(監督・出演)、
『天国でまた会おう』(17)、『エル ELLE』(16)、
『ミモザの島に消えた母』(15)等
堀内賢雄(ルネ・ゴシニ)
1957年7月30日生まれ、静岡県御殿場市出身。ケンユウオフィス代表。1983年にデビューしてから40年に渡りアニメ、吹替、ゲーム、ナレーションと幅広く活躍している。主な出演作、吹替「ブレット・トレイン/レディバグ役」、吹替「フルハウス/ジェシー・コクラン役」、アニメ「ゴールデンカムイ/菊田特務曹長役」、アニメ「ジョーカーゲーム/結城中佐役」など数々の作品に出演。日本語版吹替では、「ブラッド・ピット」「ベン・スティラー」「チャーリー・シーン」を担当している。
コメント:
冒頭のサンペが自転車でやってくるというシーンは、なんてお洒落で洒脱で粋なんだろうと、一気に作品に引き込まれ、完全にこの映画のファンになりました。同時に、演者としてどういう風に演じるかは悩みましたね。この作品はゴシニとサンペをすごく愛している人たちが作っていることが細部にわたって、表現されている映画だということがとても伝わります。皆さんにも同じ様に感じていただけたらと思います。サンペを演じた小野君も相当入り込んでいましたから、すごくいいコンビでできたと思います。
小野大輔(ジャン=ジャック・サンペ)
5月4日生まれ、高知県出身。2006年に『涼宮ハルヒの憂鬱』古泉一樹役で注目を集める。近年の代表作は『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズ(空条承太郎)、『宇宙戦艦ヤマト2205新たなる旅立ち』(古代進)、『おそ松さん』(松野十四松)、『進撃の巨人』(エルヴィン・スミス)。アニメに限らず『GOTHAM/ゴッサム』のジェームズ"ジム"・ゴードン役、『エルヴィス』エルヴィス・プレスリー役など吹き替えでも幅広いキャラクターで活躍をしている。故郷の高知県に馴染みが深く2010年に高知県観光特使に任命され、2017年からは出身地の高知県佐川町の観光大使を務めている。
コメント:
プチ・ニコラの世界観そのままの、優しくてあたたかくて幸せな気持ちにさせてくれる作品です。2人の作家の生き様がそのまま作品に投影されていること、2人の変わらない友情と強い絆に心を打たれました。ゴシニ役の賢雄さんの深い愛情と優しさに満ちた声がとても印象的でした。一緒に収録をさせてもらえて、掛け合いの中で自然と「歳の離れた親友」になれたような気がしました。それがとても嬉しくて幸せでした。
小市眞琴(ニコラ)
2月17日生まれ、東京都出身。2016年のTVアニメ「ナースウイッチ小麦ちゃんR」の如月ツカサ役で声優デビュー。主な出演作品は「アイドルマスターシンデレラガールズU149」(結城晴)、「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 」(明神弥彦)、「地獄楽」(ヌルガイ)「The Legend of Heroes 閃の軌跡 Northern War」(ラヴィアン・ウィンスレット)、「転生したら第七王子だったので、気ままに魔術を極めます」(ロイド)等。
コメント:
まずはお話がとても素敵だったので、そのなかで重要なニコラ君という役をまかせていただき、嬉しかったです。
原作者ふたりの人生も垣間見ることができたり、ニコラくんのように子供のころの感情を呼び起こすことができたり、サンペとゴシニのふたりのような素敵な出会いが自分にもあるといいなぁと思うこともできたり、いろんな感情で観ることのできる作品だと思うので、楽しんでいただけたらと思います。
井上喜久子(ママ)
9月25日生まれ、神奈川県出身。TVアニメ『らんま1/2』天道かすみ役でブレイク。『ああっ女神さまっ』(ベルダンディー)『ふしぎの海のナディア』(エレクトラ)『しまじろう』(しまじろうのお母さん)『はたらく細胞』(マクロファージ)『宇宙戦艦ヤマト2205 』 (スターシャ・イスカンダル)など役の幅を広げ、アニメ、ゲーム、洋画吹き替え、ナレーションなど幅広い分野で欠かせない声優として活躍している。イベント等の自己紹介で「井上喜久子、17才です」と言い、観客が「おいおい!」と返すお決まりの流れで”永遠の17才”としても知られる。
コメント:
作品を拝見して、原作者お二人の物語に感動して、泣いてしまいました。映像の美しさ、音楽の素晴らしさ、そして、ニコラの物語がやさしく、おしゃれな雰囲気も素敵で、そのような作品に参加できてとてもうれしく思っています。本当に多くの方にご覧になって頂きたい作品です。大きな愛情を感じることのできる1本だと思いますので、老若男女を問わずみなさまに楽しんでいただける作品だと思います。
三上哲(パパ)
6月8日生まれ、東京都出身。吹替、アニメ、ゲームなどで幅広く活躍。主な出演作品としては、『ダウントン・』トーマス(ロブ・ジェームズ=コリア―)、『マグニフィセント・セブン』ジョシュ・ファラデー(クリス・プラット)など。なかでもベネディクト・カンバーバッチの吹替は『SHERLOCK シャーロック』をはじめ、『ドクター・ストレンジ』、『8月の家族たち』、『1917 命をかけた伝令』、『エジソンズ・ゲーム』など数多くを担当。アニメでは『DOUBLE DECKER! ダグ&キリル』ダグ・ビリンガム役、『機動戦士ガンダム水星の魔女』オルコット役『デリシャスパーティー♡プリキュア』フェンネル/ゴーダッツ役、ゲームでは『DEATH STRANDING』ヒッグス役など。
コメント:
ステキな作品に参加できてとても光栄でした。作品全体にやさしい雰囲気があふれていて、パパ役としても楽しむことができました。原作者のふたりの物語もですが、プチ・ニコラの物語もやさしく、かわいいので、ご両親、そしてお子さん、ご家族一緒に楽しんで頂くことのできる素敵な作品です。
Q:この企画はどのように誕生したのですか?
アマンディーヌ・フルドン(以下AF):
ジャン=ジャック・サンペとルネ・ゴシニのアーカイブ映像と「プチ・ニコラ」のアニメを合わせたドキュメンタリーを作ろうというのが当初の案でした。企画は変化を遂げ、最終的には、私たちがやりたいのは全編アニメで表現することだと確信するに至ります。作者たちの世界観を考えれば、それが筋が通っているように思えましたし、「プチ・ニコラ」の初のアニメ化という機会にもなると思ったからです。
バンジャマン・マスブル(以下 BM):
作者たちの人生と「プチ・ニコラ」の物語を合わせた本作は、ディヴェロップメントとファイナンスに数年を要し、私が参加したのは2020年の春になってからでした。私はまず、アンヌ・ゴシニと共に、サンペとゴシニの人生を描いたシーンを発展させるなど、脚本をリライトすることから始め、伝記的な部分をできるだけ詳細に追加していきました。同時にフュルシィ・テシエとジュリエット・ローランと共に、キャラクターや装飾、色彩のチョイスなどに戻ってアーティスティックな部分のディレクションに着手していきました。
Q:お二人でどのように作業をされたのでしょうか?
BM: 私のキャリアはもともと映画の編集と脚本の執筆だったので、私についてはシンプルにアンヌ・ゴシニと脚本を手掛けるということになりました。その後、アーティスティック・ディレクションとアニメに関する決定もアンヌと共同で行っています。
AF: アニメーションにおいて、編集は最も重要なステップだということを知ることが重要です。制作チームが最終的に使わないシーンを抱えなくて済むように、作業は時間に余裕を持って終わらせました。編集は脚本の問題解決を可能にすることがよくあります。ある手段が上手くハマるか否かが一瞬で明らかになるからです。
BM: そういう理由で私はストーリーボード・アーティスト(絵コンテ担当)との作業にも時間を費やし、作品の骨格とアニマティック(注:映画製作のプリプロ段階において、絵コンテに相当する各カットの簡単な画面構成などをCGで映像化したもの)を構築していったのです。最終版を作る前に各シーンの正確な尺が想定できるように、絵コンテのスケッチを声、音声、音楽の譜面などにマッチさせるように映画の最後に至るまで決め込むというのが方針でした。
Q:本作で最も難しかったのはどんなところですか?
BM: 一般的な物語の構成を持たない本作の物語に観客を引き込むための最適なペースを見つけることが一番難しかったですね。本作はシーンごとに進んでいく、歌やダンス・ナンバーなどがあるミュージカルと少し似たような構成になっています。参考にした作品には『巴里のアメリカ人』(51)などがありました。感動を呼ぶものにするためには、ふたつのストーリーをリンクさせ、筋が通るものにしなければなりませんでした。もうひとつ難しかったことは、サンペが二コラのセーターに塗った赤以上の色彩をプチ・二コラの世界にもたらすことでした。まず50年代の部分はセピア色のトーンを採用して始めたのですが、それだと私たちが求めた明るい雰囲気にならなかったので、もっと活気のある子供らしい色使いにすることになったのです。
AF: 8編のプチ・ニコラの物語の間に、論理構造を維持したまま作者たちの物語を散りばめていくのは容易なことではありませんでした。そのために、流れるようにかつ論理的な移行のための小さな仕掛けを沢山開発することになりました。もう一つ大変だったのは、サンペの画風に合うゴシニとサンペのビジュアル・スタイルを見出すことでした。彼の絵はシンプルな印象を与えますが、いざ真似てみようとすると、いかに難しいかに気付かされるのです。彼の描く線はとても純粋で様式化されていて、本当に必要なものしか描いていないのです。そこに行きつくために、私たちは一度背景を全部書き込んだ上で、消去しなければなりませんでした。サンペの絵と私たちの解釈、そして最終的に出来上がるものの間に最適なバランスを見つけるまでに本当に時間がかかりました。
Q:サンペに人生にとって音楽はとても重要なものだったと思います。本作にどのように音楽を取り入れようとされたのですか?
BM: それはいくつかの段階を経て実現しました。まず編集の間にダミーで入れてみて、ミシェル・ルグランや(「幸せになるのに何を待つの?」を作曲した)ポール・ミスラキ、デューク・エリントンのほか、ゆったりとした雰囲気にはクロード・ドビュッシーなど、ジャン=ジャックの好みから選ぶことにしたのです。ジャズのノリはストーリーに合っていましたし、レイ・ヴァンチュラ、トレント、モンタンなどを思わせる力強いメロディは当時流行っていたメロディです。その時点で『アーティスト』で彼が手掛けた音楽のようなリュドヴィック・ブルスのテーマを多用することが本作には効果的であることに気付き、彼と仕事をしたいと思ったのです。彼のような一流のアーティストたちと仕事をすることができて本当にラッキーでした。
AF: 彼の音楽のおかげで50年代、60年代のサンジェルマンの雰囲気を伝えることができ、あの時代に飛び込むことができたのです。しかしそれと同時に私たちが求めていたモダンで活気のある側面も表現することもできました。私たちはそこに喜びとエネルギーを必要としていて、その二つのバイブレーションの間を行き来することができたのは素晴らしいことでした。バンジャマンとルドヴィックは音楽を完璧に映画に合わせるために長い時間を費やし、結果素晴らしいものを生み出しました。
Q:こういった作品がカンヌ映画祭に選ばれることの意味はどういったものでしょうか?
BM: フランスアニメは黄金期を迎えているにも関わらず、カンヌ映画祭ではあまり紹介されていないので、上映できたことは素晴らしい機会だったと思います。カンヌに行ける喜び以上に、2年に及ぶたゆまぬ努力の証明にもなりました。また映画にとってはこれ以上ないお披露目の機会となりました。私たちが目指していたのは、スマートでありながら、多くの人に受け入れられる作品を作ることだったからです。
AF: 私たち自身が幸せだっただけでなく、私たちのチームにとっても喜びでした。彼らの仕事のクオリティと作品に注ぎ込んできた情熱が報われたからです。また映画を作るときは、多くの人に見てもらいたいと思うものですしね。カンヌ映画祭はそれらをすべて叶えてくれる場所でした。
Q:このプロジェクトはいつスタートしたのですか?
2015年だったと思います。M6で放送された『プチ・ニコラ』(2009-2011/3Dアニメ/13分×52話)のテレビ・シリーズで一緒に仕事をしたことがある、プロデューサーのアトン・スマシュがこれまでとはまったく違ったものを作りたいと私に言ったのです。それはアーカイブ的なフッテージと“プチ・二コラ”の歴史を回顧するアニメーションを合わせるというものでした。そのときはそれが何を意味しているのか、そのような映画の観客がどういう人たちになるのかについて、明確な考えがあるわけではありませんでした。というのは、アニメーションとドキュメンタリーでは、ターゲットとなる観客層がまるで違っているからです。その後、私がこのプロジェクトに関わって、脚本を書くように提案されました。しかし、私は何本かの小説を執筆したり、数多くの脚本を読んで、相応の編集作業をしたことはありましたが、脚本執筆はそれほど経験がありません。実際、父が創ったキャラクターたちがスクリーンに登場する映画が作られるときはいつも、父の創造物に可能な限り、誠実であるようにするために脚本を読んで、手直しします。でも、書き換えではなく、今回の執筆というのは小さなステップかもしれませんが、同じ行為ではありません。すると、スマシュが私にひとりの脚本家ミシェル・フェスレーを紹介してくれました。彼は熟達したプロフェッショナルでたぐいまれなる親切さを兼ね備えた脚本家です。 私たちは親しい友人となり、映画全体をアニメーションにすべきだという点で一致しました。強迫観念的ともいえる熟考をへて、私は語り口のバランスをとる必要があるという論理的根拠を思いつきました。サンペは、ニコラに私の父親は亡くなったということを言うべきか、言わざるべきかを自問しなければならないでしょう。それゆえ「キャラクターに自分たちの共同創設者が自分に命を吹き込むことができなくなるということをどのように告げるか」という問題点をフラッシュバックにして、脚本を書くことを決めました。そして『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!』(18)で、同作の聡明な監督アレクシス・ミシャリクが用いたプロセスに従い、作者の人生の物語を語ることでこの映画の存在理由を正当化することを決めました。
Q:脚本を執筆なさっているときに音楽についてすでに思いをめぐらせていましたか?
私はフランスのシャンソンの大ファンなんです。観客の方々に劇場から立ち去るときに、幸福を感じ、幸せな気分で鼻唄を歌いたいと思ってほしかったのです。レイ・ヴァンチュラの「Qu-est-ce qu’on attaned pour etre heureux(幸せになるのに何を待つ)」はこのテーマにぴったりの選択でした。サンペはピアニストになりたいと熱望していたので、彼が明らかにピアノよりも絵を描くことに才能があったとしても、彼がレイ・ヴァンチュラ学童グループの一員であるというシーンに遭遇することになります。それから“学校をさぼる”(訳注=hookyには音楽のサビという意味もある)シーンで子どもたちは、自分たちがガレー船を漕ぐ奴隷であるというごっこ遊びをします。私はモーリス・ドリュオン作詞、レオ・ポール編曲でミッシェル・ポルナレフの父がロシア音楽から取り入れた伝説的な楽曲「Le galerien(The Galley Slave)」のことを思わずにはいられませんでした。映画の中で、音楽は背景の一部であるとか、些細なものであるということはありません。音楽それ自体が一つのキャラクターなのです。劇場を出るときに一番覚えているのが音楽だということはよくあります。だからこそ私は『アーティスト』(11)でアカデミー賞を受賞したルドヴィック・ブールスが音楽を担当すると知ったとき、嬉しくて感動しました。ある物語を読んだとき、人は誰でも心に浮かぶ独自の音楽があるものです。彼にとってはどのようなものでしょうか?
Q:この映画がカンヌ映画祭に選ばれたことをお父様は嬉しく思われるでしょうか?
私の父は筋金入りのシネフィルでしたから、カンヌ映画祭とカンヌの町が大好きでした。とても愛着のあるその地にアパートさえ持っていたほどです。私は5月19日生まれで、その日はだいたいカンヌ映画祭が始まる頃です。誕生日はいつもカンヌで過ごしていたことを思い出します。両親がタキシードとイブニング・ドレス姿でスクリーニングに出かけるのを見ていました。ですからアニメのキャラクターとして、彼がついに会う機会がなかった天才に吹替えられて、自分自身が大きなスクリーンに投射される映画になっているのを想像することは十分できたでしょう。 私の両親がいまどこにいることは関係なく、大きなスクリーンがしつらえられ、映画が上映されるのです。おそらく、ふたりは私が階段を登るところを見て、私がどれほど感動しているかに心を打たれることでしょう…。 「プチ・ニコラ」の物語は40以上の言語に翻訳されています。ニコラはポーランドとドイツではスターであり、韓国の人々にもこよなく愛されていることを思うと、カンヌ映画祭がこの映画を国際的な大ヒット作にすると確信しています。